長病みの暗は密より甘い


#XX / #Short
毒好きメンヘラマゾヒストくんの話。

文章が古すぎ。多分すぐ下げる(テスト用に投稿増やし中)

***

 青く澄み渡る空、爽やかなさざなみの音、あつく照りつける日差し。
 雲ひとつ無い快晴の日、狩人は大陸の最東部にある密林を訪れていた。華やかな柄の鉄扇ふたつを背に、どこか気の重そうな表情で。
 故郷からほど近いこの地の思い出といえば、どうしても“その人”の影が付きまとった。ここへ来るまでの空の旅の最中も、仕事で来ているのだからと気持ちを切り替えようとしていたが、なかなかうまくは行かなかった。
 歩きながら漏れる何度目かもわからない溜息の音に、足元からじっと主人を見上げていた獣人も痺れを切らして、愛らしい声を投げかけた。

「ニャァ、旦那さん。具合悪いニャ?」
「あ、いや……うーん。平気だけど……」

 歯切れの悪い狩人の言葉に、首鳴竜を模した着ぐるみ姿の獣人は、その長い首を傾げて見せた。
 心から心配しているであろう獣人の見えぬ表情に、狩人の男は気まずくなって、片目を覆うほど厚い毒々しい色味の髪を触る。

「……平気だよ。ちょっと、調子上がんないだけ」

 再びの溜息混じりに、憂いを帯びた目の狩人はそう断じる。それから今一度歩を進め、一直線に林の方を目指していく。
 獣人はそんな彼を引き留めたくなったが、既に引き受けた仕事である以上そうはいかないとも理解していた。少し遠慮がちになりながらも、小さな歩幅で前を行く主人に従い進む。

「旦那さん、最近ちょっと元気ないニャ。ボク、心配ニャ」
「んん……そう言われると弱いな」

 この獣人との付き合いも、それなりに長くなりつつある。狩人にとって彼は今や歳の離れた弟のような存在であり、彼が狩人を思い遣る気持ちは一片の偽りもないものであった。

「でもまあ、大丈夫だろ。段取りも決めたし失敗はしない」

 そう言って、狩人は小さな相棒に笑いかける。その笑顔はいつも通りの彼らしく見え、活力も十分であるように感じられた。
 獣人は少し胸を撫で下ろしたようで、背にかけていたドングリの槍を手にとり、頭上に掲げてやる気を誇示した。

「フフン。その“段取り”、ボクにはわかるニャ! 親の方を先に狩猟して、安全になったところでメインターゲットを……って魂胆だニャ?」
「ご明答。少ないけど狩猟の報酬も出るしな」
「そして何より、旦那さんは狩りが大好きニャ! 卵を運ぶだけの仕事なんてツマラナイって言いそうだものニャ」
「ははっ、わかってるじゃん。ハンターたるもの、体動かしてナンボだろ?」

 二人は笑い合いながら、樹々の間を抜けていく。堅い信頼を確かに感じて、此度の依頼もうまくこなせるだろうことを二人は確信していた。

 瞬間、獣人が何かの気配を察知してぴくりと身体を震わせたのを、狩人は見落とさなかった。素早く前方に注意を移し、身を屈めて目先に広がる草地の様子を伺う。
 先程から落ち着きのなかったアプトノス達が、慌てふためき四方へと散り散りになる。それは即ち、一先ずの標的がその場に現れることの前兆と断言できる事象であった。
 草地に落ちた影を見るなり、狩人の男は囁くほどの声で獣人へ声を掛けた。

「……目線が逸れたら足元に奇襲する。状況見て援護を」

 声を受けた獣人は、やわらかな着ぐるみの首をふわりと縦に振る。それを目で確認することもなく、この狩りでも万全のサポートを受けられることを心得た狩人は、瞬きすらせずに前方をくすんだ金色の瞳でじっと見据える。

 翼をはためかせる音が近づく。風のなかった大地を靡かせ、君臨する。
 屈強な両脚で地を掴み、深緑の飛竜は荒々しい息を吐く。凛とした琥珀色の眼光は、“女王”と呼ぶに相応しい気品に充ち満ちていた。

 こちらを向いていた“女王”は、自身を狙う者たちに気づくことなく、首をもたげて周囲を見渡している。そしてそのまま踵を返し、自身の縄張りを闊歩し始めた。それこそが、狩る者にとっての千載一遇の好機。狩人はすかさず地を蹴って木陰から飛び出し、舞うが如き所作で得物を手にとった。
 悪いがこれも仕事なんだ、恨むなよ――そう思ったのは束の間で、瞬きの後には無情なるハンターの顔つきに切り替わる。速度を上げ駆け抜ける彼のその目は、宛ら血に飢えた獣。生命を賭けた狩り合いを望む、戦いに生きる者の瞳。
 それは紛れもなく、彼自身が忌む“その人”と同じ、昏い輝きを持っていた。


***


 剣を振るっている間は、気が楽になった。
 そんなことを思っていると、反りの合わないあの女と似たようなことを考えているんじゃないかと、段々不安になってくる。それでも事実だ。やっぱり俺たちは似た者同士で、それ故に反発し合うんだろう。
 ずっと長く、心のなかをかき乱している薄暗い靄のようなもの。それから目を逸らせる瞬間は、一寸先に死が見えるほどの緊迫した戦いの間、それしかない。

 華々しく舞う鉄扇の双撃が、竜の甲殻を削ぎ落とす。怒りに唸る竜の炎を得物で払い勢いに変え、鋭さを増した刃で顎下めがけて斬り込んでいく。
 次、そして次と、手を止めることはなく斬撃を見舞う。そうして数多の創痍を刻み、追い詰めていく。
 自然と高揚し、胸も高鳴る。そうだ、狩りは楽しいんだ。暗澹とした気持ちは消えなくとも、それだけは事実だった。

 無数の傷を負った竜が、憤怒を最後の力に変えて、強く羽撃き空を舞う。棘を備えた長い尾を伸ばし、自らの命を狙う者を真正面に見据える。
 ああ、よく知っている。それが彼女の最大の武器であると。軌道もわかる、避けるのは容易だ――わかった瞬間に、身体が固まっていなければ。

 勇んでいたはずの心が、すっと冷たさを取り戻す。瞬く間に暗闇の中に引き戻され、ゆっくりと迫るその瞬間に釘付けになる。
 言わば、生と死の狭間。ふたつの欲に揺れ動く自分を、ひと掴みで引き摺り堕としにかかる、残虐で陰湿な暴力。
 ただ効率よく獲物を狩るため、効率よく身を護るため。そのために存在するはずのそれに、惹きつけられる瞬間だった。

 いつだって望んでしまう。牙でも爪でも、棘でもなんでもいい。
 この身を侵し、滅ぼさんとしてくれるなら、なんだって構わない。
 苦い薬に縋って生きるより、甘い毒に溺れて、いつかは――。

 小さな友人が、何かを叫ぶ声がした。しかしそれは体勢を崩した竜が地に墜ちる音に掻き消されてしまった。それでも、彼が何を言いたかったのかはわかった。
 どうしようもなく嬉しくなって、強く弾き飛ばされ地を転がった先、全身を襲う苦痛の中で思わず笑ってしまうような自分は、愚か者なんだ。


***


「旦那さんのっ、ばか!」

 ニャアニャアと声を荒げる獣人は、倒れ伏し呼吸を止めた雌火竜の側、座り込んで肩で息をしながら血を流している主人の膝を掴み、揺すり続けていた。

「どうして! どうしてニャ! 一瞬避けようとしてどうしてやめちゃうニャッ!? あからさまにワザと食らってこんな大怪我してっ、旦那さんのおばかー!!」
「わ、わかった、から……揺するのやめ……」

 高揚の赤が差していた狩人の顔は、平常のそれを通り越して青になっていた。理由は単純、受けた傷から流れる血がまだ止まっていないからだ。
  雌火竜の尻尾が直撃したのは右脇腹だった。装備のお蔭で傷は浅いが、棘は阻むことができなかった。棘を抜いた箇所からは、的確な止血処置も虚しく鮮血が滲み出していた。
 盛大に打ちのめされはしたが、狩人は咄嗟に受け身はとっていた。本来ならこの程度はかすり傷で、持ち前の治癒力があればもう傷は塞がっていたはずだ。しかしやはり恐ろしいのは、尾の棘に含まれる毒に他ならない。それがあるからこそ、比較的危険度の低い陸の女王とは言え油断はできないものだ。

「もうっ、見てられないニャ! はやく解毒薬を……」
「持ってない」
「またニャ!? 何回やれば学習するんだニャーッ!」

 ぷりぷりと怒る獣人は地団駄を踏み、今度は両手で狩人の膝を繰り返し容赦なく叩く。狩人は当然痛がるが、止めようとはしなかった。
 大丈夫、致命傷じゃないからそのうち良くなる。狩人は半ば独り言のようにそう言った。すると獣人も少しずつ殴る手を止め、怒りも鎮めて俯いた。

「……ボク、気づいてるニャ。旦那さん、たまにこうして――」

 そう言う獣人の声音は、どこか悲しそうだった。言葉に詰まる獣人に、狩人は一瞬だけ優しく笑いかける。
 はっきりと断じるのは躊躇うだろう。傍から見れば、この馬鹿馬鹿しい行為はただ自らを殺さんとしているようにしか見えないのだから。
 狩人は否定も肯定もせず、一瞬の先に目を逸らし、遠くの空を眺めながら気楽そうに言う。

「でも、ちゃんと依頼はこなせてる。リオレイアも仕留められただろ? 絶対ヤバイのは避けるし、後のことは考えてるから復帰もできる。だからいいじゃないか」
「よくないニャ! っていうかなんでニャ!? そもそも動機がわかんないニャ!」
「えー……興味があるから?」
「ニャンッ……き、興味? ますますわかんないニャぁ……」

 困惑した様子の獣人に、狩人は「俺は研究者を辞めたつもりはないんだよ」と零す。狩人の過去を知らない獣人はただ首を傾げるだけだったが、狩人は構うことなく着ぐるみの頭をぽんぽんと撫でた。
 一息ついた狩人の顔色は、先程よりは赤みも差して健康的に見えた。今一度傷の具合を確かめて、狩人はその場にゆっくりと立ち上がる。

「よ……っと」
「だ、大丈夫ニャ……?」
「うん、動けるし平気。血も止まってきてる。……目眩はするけど」

 貧血程度で済んでよかった、と狩人は胸を撫で下ろす。当然痛みはまだ残っていたが、歩けない程ではない。頑丈な体に生まれてきたことは、“その人”に感謝しなければいけない数少ない事柄のひとつだった。
 しかしこの調子では、ベースキャンプへ帰り着くだけで一苦労かもしれない。そう思った狩人は、顎に手を添え太陽のある方をちらりと見遣った。

「さて、そろそろあいつも来るだろうし。俺たちは一足先に上がりってことだな」
「……ニャ? 卵はどうするつもりニャ……えっ、あいつって」

 狩人の口から零れた言葉を聞いて一瞬戸惑った獣人だったが、やがて一つの結論に考え至る。
 脳裏に浮かんだのは、陽気な後輩狩人のあの太陽の如き笑顔。彼女が期待に満ち溢れた表情で飛行船に乗り、はるばるこの密林までやってくる姿まで、容易に想像できた。

「まさか、最初からそのつもりで……?」
「俺が運ぶとは一言も言ってないだろ?」
「んもう……後輩使ってズルするなんて、ワルい先輩ニャ」
「何がズルいもんか。端っからメインの報酬はあっち持ちだっての」

 呆れ気味の獣人は、ゆっくりとベースキャンプに向かって歩き始めた主人に続いて脚を動かす。
 この狩人にも何かしらの考えがあってのことなのだろうが、これでは面倒な仕事のためにあの健気な女の子がいいように使われているような気がしてならなかった。まあ、例え本当にそうだったとしても、実直なあの子なら迷わずここまで飛んでくるのだろうが。

 キャンプまでの道のりの間、獣人は延々と帰ったらちゃんと診てもらうように狩人に言いつけていた。その姿はまるで小言の多い母親のようで、しかし狩人はそんなことは全く気にもしない様子で、彼の言葉を聞き流し続けていた。
 狩人にとって、こんなことはもう日常になってしまっていた。この獣人が見ていないところでも、何度も何度も繰り返していた。
 その度に、やはり“あの龍”の手が望ましいのだと自覚する。それでも目先の欲望に抗いきれず、こうして繰り返してしまうのだが。

 依存はより深くなる。死んだほうがマシだと思うような苦痛がなければ、生きていられなくなるほどに。
 いつかは身を滅ぼす――しかし今はまだ続いている。ならばその現実に甘えて、ただ欲に身を任せて生きるまでだ。
 あまりに眩しい世の中なんだ、薄暗い影の中に居たっていいじゃないか。
 そんなことを考えながら、狩人は生命の溢れる大地を踏みしめていた。


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